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もし東京五輪が中止となり開かれていなかったら、この夏は先の大戦に続く日本の二度目の敗北と挫折の年として、記憶に刻まれていたことだろう。
長く続くコロナ禍での自粛と逼塞(ひっそく)の日々は、垂れこめた黒雲のように重くのしかかり、日々の生活を単色に染めてきた。国民の不満と閉塞(へいそく)感は、臨界点に達しようとしていたといえる。
そんな中で、人類はコロナに屈しないとの意思を表す五輪は、華々しい色彩にあふれていた。若々しい日本人選手の活躍と感謝の言葉は国民を勇気づけ、未来への期待をともした。明るい笑顔で故国に帰っていく外国人選手たちの姿は、世界との連帯に対する一筋の希望の光ともなった。
五輪なしに、これらの素晴らしい光景を目にすることはできず、コロナに打ちのめされた敗戦ムードと喪失感だけが、蔓延(まんえん)していたことだろう。世界も日本に失望していたに違いない。
ただ、とりあえず「第二の敗戦」を回避できたのはよかったものの、五輪開催を通じて、さまざまな戦後日本社会のひずみが浮き上がってきたことも事実である。
「(五輪を開催すれば)世界の変異株の展示会みたいになり…」
一つには立憲民主党の枝野幸男代表の外国人差別とも受け取れるこの言葉が象徴するように、日本の排他性が改めてあらわになった。マスコミや野党の根強い五輪中止論の背景にも、この心理がうかがえる。
だが、外国人選手たちの多くはワクチン接種を済ませた上でPCR検査を繰り返し受けている。さらに外部との接触も厳しく制限される中で、なぜさまざまな変異株が日本で広がると決めつけるのか。そもそもウイルスは、日本国内で独自に変異することもある。
五輪中止を求めておきながら、自ら主催する高校野球の大会では、スタンドに応援団らを「密」に入れて開催している新聞社もある。日本人だけなら、ウイルスを神風が吹き飛ばすとでもいうのだろうか。
五輪開催に慎重・反対だった感染症の専門家らが、夏の甲子園については特段言及しないのも解せない。
コロナ禍にあって、さまざまな決定(あるいは不決定)が、合理的な判断ではなく、あらがい難く同調を迫る「空気」に流されているように思える。
「もし日本が、再び破滅へと突入していくなら、それを突入させていくものは戦艦大和(の特攻出撃)の場合の如く『空気』であり、破滅の後にもし名目的責任者がその理由を問われたら、同じように『あのときは、ああせざるを得なかった』と答えるであろう」(山本七平著『「空気」の研究』)
現在の日本では、感染力の強いインド由来の変異株(デルタ株)が猛威を振るっているほか、全国各地で豪雨災害が起きている。
だが、日本では危機管理に関する法律は事前に準備されず、何か大変な事態が生じてから初めて整備されることが通例である。
災害対策基本法ができたのは昭和34年の伊勢湾台風後で、救助のための自衛隊車両が許可を得ずとも被災地の道路を通行できるようになるのは、平成7年の阪神淡路大震災を経た同法改正後だった。原子力災害対策特別措置法も、11年に茨城県東海村で臨界事故が起きてからできた。
そして、今回のコロナ禍のような予測が難しい有事に、政府の権限を強化する緊急事態条項はまだ憲法に規定されていない。それどころか国会でも、コロナ禍を憲法改正に結び付けてはいけないという奇妙な「空気」に阻まれ、まともに議論すらされていない。
これでは政府の対応が後手に回り、根拠に乏しく感じられるのも無理はなかろう。立法府は、何より有事への備えを最優先させるべきである。
筆者:阿比留瑠比(産経新聞論説委員兼政治部編集委員)